承認欲求という病気になったときに読む一冊

病院生活の始まり

 

ある日、いつものようにコンビニでお昼を買い、すませました。

この日の夜、僕は一睡もできませんでした。腹部が僕の体の支配下から離脱していくような感覚です。

 

「どこにも行かないでくれ。」

 

と思いながら、幾度も眠りにつくことに集中したができませんでした。

そして、急患として病院に向かい、朝を病院で迎えることになります。

 

 

 

入院すると恐ろしく時間を持て余します。とにかく、やることがありません。

 

やることといえば、頑張って細胞分裂の応援して回復を促進することくらいです。

 

そんな応援もほどほどにすると、天井を見つめるか、本を読むくらいしかできることはありません。

 

天井を見つめるのに飽きると、読書をし始めます。

 

そして、天井と本に視線を交互に移しながら一日が終わります。入院生活はそんな毎日です。

 

 

僕が入院のときに読んでいた本は幸せになる勇気

そこで書かれていた文章が僕には衝撃でした。

 

「自分で自分を認めてあげるしかない」

「原理的に相手がどう思っているかは知りえない」

 

今では、FaceBookやInstagramといったSNSでいいねをもらいたいがために周りの目を集めるのに必死。

 

しかし、それは承認欲求でしかないように思います。

さらに根源を極めるなら、親から褒められたりすることもこれと同じです。

 

「勉強を頑張った。」

 

「リレーで1位になった。」

 

「志望校に合格した。」

 

そういったことで親から褒められたことがあるでしょう。

 

多分、嬉しかったはず。僕もそうだったと思います。

 

本当は自分で自分を褒めるべきです

 

褒められることでそれに快感を求めて、また頑張る、誰かがそれを褒める、もっと頑張る、そして誰かが褒める。そのサイクルです。

 

でも、悲しいことにその誰かはうまい方向に行かせてやろうなんて思っていないでしょう。

 

誰かのために頑張るのではなく、自分のために頑張る、です。

それが結果的に誰かの喜びになっているべきです。

 

でないと、褒めてもらえない状況に悩むか、他人に褒めてもらえそうなことをやり始めます。

まるで茨の道を裸足で歩むような人生になります。

 

多くの人がこの褒めるられるループにハマってしまっているように僕は思います。

というか、僕はそうでした。ハマっていました。

そうやって26年間やってきた。

 

 

誰かに自分の人生のイニシアチブを握らせるべきではありません。

 

誰かに褒められることに快感を求めて、また頑張る、誰かがそれを褒める、もっと頑張る、そして誰かが褒めるサイクルを断ち切るべきです。

 

こんな目隠しをして、暗闇を誰かの声と言葉を頼りにさまようことに一生を使う気ですか?

 

僕はようやくその目隠しを外しました、人生のイニシアチブを握っています。

 

入院での内省が少し僕を前に進めたように思います。

 

  • 幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

この記事は、以前書いたものを修正して再投稿しました。

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